姫路城です。
姫路城一番の売りというのが、現存天守という点。
現存12天守
現存天守(げんそんてんしゅ)とは、日本の城の天守のうち、江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで保存されている天守のことである。これ以外に存在する天守には、復元天守、復興天守、模擬天守がある。
創建当時の姿を残しているお城というとウィキペディアによると姫路城と彦根城のみとのこと。その他は燃えたり壊したりなどの経緯を残しつつ保存されているのだとか。
そりゃあずーっと残ってる(創建は1346年!)のだから世界遺産になるよなあ。おいまて、じゃあなんで彦根城が世界遺産じゃないんだよという怒りを持って乗り込んだ。
さて、姫路城ですが、先日平成の修理を終えて、真っ白に生まれ変わったとのこと。
この驚きの白さはア◯ックとかで洗濯したものではなく、白漆喰を使用しているからである。並んでいた時に後ろにいたおっちゃんが「この漆喰はそのままでは濡れないから、ウンタラカンタラ」とうんちくを語っていたが、聞き逃した。きっとすごい工法を採用しているんだと思う。うん。(ウィキペディア見てもなかった。)
いつもこの調子なのかどうかわからないが、天守閣に登るのだけで30分待ちである。(電光掲示板による表記)実際は、中に入って階を挟むごとに入場制限がかかって待たされるので時間がかかる。。。
中はどうなってるかというと、何も無いぞ。びっくりするほどなにもないぞ。ただ、やはり建物・構造自体に歴史を感じる
例によってやたら急な階段はここでもそう。着物でこれ登れるのだろうか?写真は先が行き止まりの階段?
これは武器庫とのこと。そう武器を引っ掛けるところだ。槍だ刀だ銃だを引っ掛けるのでしょうね。
そして水を通すパイプ、じゃなくて壁から出てる何か棒のようなもの。何でしょうね。
窓の格子。サビサビ。
天井はスプリンクラー設備されているが、木に歴史を感じる。木造建築は素晴らしいね。
瓦。瓦については、
鬼瓦や軒丸瓦などには、その瓦を作った時の城主の家紋が意匠に使用されており、池田氏の揚羽蝶紋、羽柴(豊臣)氏の桐紋、本多氏の立ち葵紋などがよく見られる。
とのこと。この紋様はどこかでみたことあるなあと思って調べてみると、
羽柴氏 五七の桐
だった。羽柴秀吉もこの姫路城の城主だったとのこと。こいつ色んな所で城主やってんな。。。
あやしい宗教法人のマークみたいな紋様。
雑草。
消火栓とか姫路城の侍は先見の目があるなあ。どおりで今まで消失しなかったわけだ。
監視カメラとかここの侍は防災だけでなくセキュリティにも先見の目があった。忍者もこれでは忍べない。。。
やっと6階もある大天守の頂上にきた。
景色がいいのに人が多い。多いよ。ここも特に神社があるのみで何もない。景色がいい。景色がいいのである。
鯱は金ではない。金は名古屋城だけである。鯱=金という謎の関係式を作った名古屋城はそれはそれで偉大である。
やっぱり世界遺産であるだけ、6階にも及ぶ大天守は壮大である。見事だ。彦根城?あれ、ねえ、そこそこの大きさしかないし。
ええ。でも彦根には世界遺産なみの人気をもつひこにゃんがいるから。ひこにゃんが!
個人的にかんじたそんな姫路城と彦根城の決定的な違いというのは、やっぱり防衛要塞としての性質ではないかと。戦国の乱世を経験している姫路城は天守に至るまでぐるぐる回らなければならない。また道中、やりや鉄砲だろうか打つため覗き穴がある。
対して、関ヶ原の戦い以降の江戸時代に築城された彦根城はその印象がない。(周囲を取り囲む堀の幅は広いが。)
ただし、
彦根城は、戦のための城で、壁の鉄砲穴も、外からは見えない様に作られており、敵が中に攻め入っても、階段をのぼってくる敵を、上から突き落せるように急な角度(62度)になっている。はしごのような階段はただ上の小さな掛かりが掛かっているだけであるので、敵が登らんとすれば、蹴って階段を落とす構造となっている。