
映画『F1』を公開当日に見に行った。ネタバレレビューなので見てない人は覚悟してみてほしい。
F1ファンとしては実際のF1チーム、ドライバー、マシン、レースをそのまま登場しているという点で見逃せない。ブラピだのトップガンマーヴェリックのスタッフ再結集とか言う話題よりもだ。
さて、観終えての簡単な感想としては、「本物を使いすぎて、逆に“映画ならではの遊び”がなくて物足りないかも?」というところである。端的に言うと期待を下回った映画だった。
本物のF1が登場する映画、でも「交わらない」違和感
映画の中では、実際のF1ドライバーが多数登場。アロンソがグータッチを決め、ラッセルとルクレールが表彰台に上る。とくにラッセルの「ただのニコニコ兄ちゃん」感が妙に印象的。レース後の表彰台ということでレース直後の疲労感があるはずである。しかしスクリーンに映るラッセルはただの笑顔。おもろい。
また、制作に関わっているハミルトンは鋭い睨みを利かすシーンがある。こちらはリアリティを感じる。
スクリーンに映ることはなかった*1が、フェルスタッペン、ペレスはなんかいつも映画の登場人物とサーキット内で争っていた。
サインツはモテる。
そして映画内のサーキット上でおそらく一番存在感を示していたのはマグヌッセンであろう。走りで存在感を爆発させていた。”いや~マグヌッセンとそんな近くで争ってたら当てられるよ〜”と思ったらガッツリ接触するのである。映画の制作者も我々と同じ解像度を持っていたようだ。
そして我らが角田裕毅も一瞬映る*2。そういえば映画試写時に彼が「ブラピに追い抜かれてたよ」と言ってたが本当によく抜かれていた。
そんな角田、ブラピに呼び止められるレベルらしい。F1界でも人気あるドライバーである証拠だろう。
出会いは突然に訪れた。角田によれば、ある日、自身が宿泊するホテルを出る際で「ユウキ、ユウキ!」と背後から執拗に呼び止められたという。
「ファンかと思った。本当にただのファンだと思って振り返ったら、そこにいたのはブラッド・ピットだったんだ」
「僕はドライバーたちに対して、本当に敬意を抱いていたんだ。ユウキに会って、彼から言われたんだ。『作品はすごく面白かったけど、映画の中で君に追い抜かれてたのがちょっと良くなかったよ』って言われたんだ。だから、こう言ったんだ。『大丈夫だ、ユウキ。あれは映画だ。作り話だからね』って」
ドライバーより露出感のあるチーム首脳陣
なぜか現実のF1チーム首脳陣がやたら登場するのも見どころ(?)の一つ。
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ギュンター・シュタイナー*3はピットサインボードの横であるインシデントが発生するたびに主人公が属するアペックスGPがいる方を睨みつけていた。(セリフはない)
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ザク・ブラウンとフレデリック・バスールはアペックスGP代表と並んで会見。ザク・ブラウンはめっちゃ喋ったけどフレデリック・バスールは一言。
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トト・ウォルフはレース後にピアス*4に対してスカウトをする(しかもめちゃ食い気味)
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チーム代表ではないがステファノ・ドメニカリもなぜか一瞬だけ登場。もっと目立ってもいいのでは。
ピアスくんの成長がエモい
物語の中核を担うピアス(アペックスGPに乗っている若手ドライバー)は序盤こそ周囲に怒りをぶつけていて、”ああ、こいつアカンなあ〜”という素振りを見せているドライバーだったが、ソニーとグランプリを戦っていく中で成長をしていくところが見どころである。最初は孤立していた彼が、徐々に「巻き込む側」に変化する姿は印象的だった。
このあたりの作りについてハミルトンの意向が反映されているのだろうか。ハミルトンってそういうやつやん。
レース描写はガチ
レースシーンは本当に細かい。
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タイヤ戦略の駆け引き
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バーチャルセーフティカー/セーフティカー/青旗ルール
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赤旗でのタイヤ交換
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チームプレーとしての「故意接触」
- 怪我によるチーム離脱
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さらには、2021年アブダビGPを彷彿とさせる展開もある。
映画の中でここまで盛り込むか?と思うほど要素がしっかり詰め込まれている。
ただ、一方でチームプレイがやりすぎでなのではという展開が登場する。あくまで映画的な展開ということで笑ってねといったところだろう。しかし、我々F1ファンは2025モナコGPを経ている。映画のチームプレイはあのレースに比べたらヌルい、ヌルいことやってんなあ。
映画F1最大の問題は2025モナコGPを経たあとに公開という点だと思う。見たら🤦ってなる。
— プリン隊 (@custard_pudding) 2025年6月27日
最後のアブダビのレースはアクシデント→赤旗→再開→トップのハミルトンピンチという2021年の(ハミルトンにとっては悪夢のような)レースを思い出させるくだりがある。本当にハミルトンが制作に関わっているのかと疑ってしまう。
ただ、ひとつ気になるのは予選と決勝でドライバーを変えたという展開がある点。いかにも映画的ご都合の演出で、ここまでしっかりやってるだけに目立ってしまう。このとき思い出したのが映画グランツーリスモのル・マン(ハンガロリンク)だ。
鈴鹿のシーン、あれだけ撮影してこれだけ?
映画内の日本GP=鈴鹿のシーンは、ほぼハイライトのみだった。
2024年の日本GPで何周も何周も撮影車がサーキットを走って大々的に撮影されていた割にそのような撮影を用いたシーンは見られなかった。あのとき一般客もアペックスGPのグッズやブラピの顔パネルを持たされて撮影があったとかいう話があったものの映像としては観客が一瞬映るだけで終了。
よくよく考えるとブラピが日本に来て撮影したわけではないので鈴鹿のシーンがあるはずもなかろう。
じゃああれだけ走らせてた撮影車、いったい何を撮ってたのか…。


本物とフィクションの境界がきっちり分かれてる
全体として、アペックスGPとソニー・ヘイズ周辺が主な舞台で、現実のF1との交わりは最小限に留まっているという印象。
なので、映画のなかでフェルスタッペンやハミルトンの“本物のF1”とブラピ演じるソニー・ヘイズの“映画のF1”が交わるようなシーンは思った以上に少ない。これは見ないとわからない点だと思うが、結局F1やってる裏で撮影してたんでしょみたいな印象にしかならない。
9戦のサーキットが登場
劇中で描かれるのはシーズン残り9戦:
この中でしっかり描かれるのはシルバーストン、ハンガロリンク、モンツァ、ラスベガス、アブダビ。
他はダイジェスト的に処理される。一方、ハンガリーGP(2023年)のスタートアクシデントはそのまま劇中でも反映されている。レースにはいなかったアペックスGPがアクシデントの中スルスルと通り過ぎるシーンは一体どういう技術が使われているのか。驚きである。
結末は…まぁ、そうなるよね
結末はだいたい予想通り。映画見る前に「でもハリウッド映画だし、こうなるんでしょ」という展開が特に裏切られることなくそのまま来る。
そこに至る興奮はあまりなかった。
こればっかりはむしろ現実のレースのほうが、よっぽどドラマチックといえる。
総評:”F1”の再現度は完璧すぎてスキがない。でも…。
この映画は、F1という世界をありのまま映し出すという点においては高評価を与えたい。おそらく何十年後に見たときに「マグヌッセンwwwwwいたわそんなドライバーwwww」「組長wwwww」「ハミルトン若ッ」といったあのときのF1を振り返られるような楽しみができそう。一方で本物を使った“完璧さ”ゆえに、映画ならではなの再現の努力、作り手の頑張りを見ることができないという点で面白さに欠けている。やっぱり映画グランツーリスモのルマン(ハンガロリンク)みたいな要素入れてもらって我々はそれ見つけて話題にしたいのだ。
いかにも映画っぽい展開であったものの、やっぱり現実のF1がドラマチックである。
とはいえ、F1ファンなら一見の価値ありかもしれない。個人的にはそうでないならスルーしてもいい感じ。