これは昼寝で見た夢の話ということにしといてください。*1
ここはトヨタ博物館
トヨダAA型が迎える。人の量は例年と変わらないな。まああんまり人が押し寄せるところでもないし。
ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン鎮座。これは何度行っても同じ位置。グランツーリスモ4で走り倒した。
中央は蒸気機関で走る自動車、その奥はガスタービンだったか当時は更に電気で走る自動車があったけどガソリン車(内燃機関というべきか)にすべて駆逐され消えていった。
奥でひっそり置かれているのは人力で走る車。スーパーエコ。
自動車黎明期はまだそれまでの車輪のついた乗り物である馬車の形を有している。そのうちどんどんエンジンが大型化して速度も上がっていった
車のさきっちょになにか(ブランド名なり車の名前なりの)象徴的なものを付ける文化ができた。
これはたしかプジョーだじょー
車の性能はどんどん良くなり風を意識して低く細く
日本の機織り屋さんも参入。
ポールシェ
今でも古びささを感じないデザイン。流石である。
モリゾウもこうなりたいのだろうか。
3階に行くと第2次世界対戦後となる。こいつはでかいキャデラック。
スバルの祖
57年前の”新型コロナ”
NONEの祖
この辺はなぜか日本車の比率が多くなる。
赤くなくてもフェラーリはかっこいい
ソアラの80's感はすごくいい。バブルな~俺も体験したかったぜえ。
変態マシンでいうとGRヤリスがあるけどもこういう変態全部入りスーパーカー作らないのかなあ。あっ、でもルマンカーベースにしたスーパーカーが控えてるのか
次はハイブリッドか、電気か、それとも水素か…?というエクスキューズを投げて常設展示は終わる。
そして今回の目的である特別展へ…
ホンダは”ホンダコレクションホール”があり、日産は座間の”日産ヘリテージコレクション”*2があり、ヒストリックレースカーを目にする機会はないことはないんだが、前述の通りトヨタ博物館は乗用車が主となっておりレースカーの展示は皆無である*3。そのためトヨタが保管しているレースカーを間近にお目にかかることはかなり貴重。そういうわけで今回夢の中ではあるがでかけている*4のである。
俺が心残るマシンはなんと言っても可夢偉を今の地位に導いたこのマシン
TF109である。
2009年戦ったこのマシン、09年規定でこれまでのレギュレーションが大きく変わりそれまでトップランナーであったマクラーレンやフェラーリ、ザウバー達が大きくコケたのに対してダブルデッカーディフューザーを有して*5ライバルを圧倒したのにも関わらずのにも関わらず、結局1勝もできなかったという「F1で1勝もできなかったトヨタ」を象徴する悲しいマシンと言う印象も持っている人もいるであろう。F1撤退会見で続けてほしかったと公然の場で泣くF1トヨタ代表山科氏のとなりで淡々と会見に挑みさらには「私が社長である間はF1にでません」と言い切ったのは今でもトヨタを率いる豊田章男なのである。
当時は「モータースポーツが好きな社長」という肩書を信じらず、自動車会社の社長がとりあえず言ってるものだと思っていた…
そんな前置きはおいていて、このマシンは当時参戦していたF1直下のカテゴリーGP2の結果の結果が思わしくなく「実家の寿司屋を継ぐ」と言っていた*6若きドライバーに、F1の挑戦権を与えたマシンなんだと主張したい。
小林可夢偉(トヨタ)、「シートなければ寿司屋継ぐ」: FMotorsports F1
GP2勝ってすごい素材がいるんだなと思ったら2年間の成績は散々でこりゃあF1無いかなと思ってたらグロックがクラッシュ欠場で代役参戦したラスト2戦はテレビに釘付けだった。ブラジルで後ろから初チャンプかけてやって来るバトンに抜かれたと思ったらクロスラインで抜き返したのは最高に興奮した pic.twitter.com/cSKsQkCgvW
— PUI PUI プリン隊 (@custard_pudding) 2021年1月24日
このマシンが展示されるような機会は個人的な記憶をたどってもなかったのでとっても貴重だった。夢に出てきてよかったと思う。
あとはトヨタ7
当時は”勝てないトヨタ”を象徴するTS020
コチラはリアビューが観賞できる。ツルンとしてるね。
そんなわけで夢から覚める。おはよう。
custard-pudding.hatenablog.com